ES: Silent Film

Silent Film

説明

Pueblo (国際題:The Return to Dreams)

監督・製作・脚本: Kimi Meguro

出演: Alisher Yo’ldoshev, Kimi Meguro, Jean-Paul Rechard, Gulchexra Madaminova 他

音楽: David Torrico (マドリード、スペイン)

撮影ロケーション: ウズベキスタン、トルコ、日本、アルゼンチン

そこにいる人、動く必要のある人、ここに留まるべき人、夢を見ることができる人、夢を見ることしかできない人、夢さえ持てない人、信じる人、信じない人。そして動物やその性格。地球上のいくつかの町に関する小さな物語

米 Student World Impact Film Festival 学生審査員による受賞コメント *Google 翻訳

監督の芸術的精神を体現し、彼らの唯一無二の創造的ビジョンによって形作られた世界を表現した映画です。

「視覚的なストーリーテリングはエレガントで微妙なニュアンスがあり、観客はこの映画をさまざまなレベルで解釈し、楽しむことができます。

「従来の常識に挑戦し、主題について新鮮でユニークな視点を提供する、考えさせられる(示唆に富む)映画。」

* タシケント国際映画祭 (旧ソ連、中央アジア):1968年開始、国際映画製作者連盟 FIAPF カテゴリーステータス元 [A] Film Festival である。97年まで、世界4大映画祭のひとつと言われる 現ロシア モスクワ国際映画祭 と1年おきに共同開催。2021年の第13回版まで、公式開催はない。特に、日本を含めた東洋作品を選定してきたモスクワは、チェコ カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭 と交互に開催していた時期が長く (1959 – 93)、当時の 社会主義国 の中で、クラス [A] を分け合う形を取ってきた。そのたった1枠の候補には、ギリシャ テッサロニキ国際映画祭 (1960 – 毎年開催、92 – 2016? 公認国際FF、2006年時点ほぼ認定A *arte.tv) 等も含まれたという。筆者が滞在した2021年時点、タシケントは FIAPF当時ディレクター Florence Girot や Benoît Ginisty など専門家からの提案を受け、世界3大映画祭として知られるカンヌ・ヴェネツィア・ベルリンのような高い国際基準のイベントを目指し再スタートを切った。映画「レオン」のリュック・ベッソンが審査員、若手映画制作ラボのメンター、2022年のゲストには、ジョニー・デップや、北野武が功労賞。2023年にエミール・クストリッツァ。往年の名監督である黒澤明、新藤兼人宮崎駿(高畑勲)、山田洋次中島貞夫、俳優 三船敏郎、阿部寛、美波 等を招聘してきた 元 アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国映画祭 である。1991年末、ソ連崩壊。

* 2022年2月24日 ウクライナ侵攻 を受けて、国際映画製作者連盟 FIAPF は、ロシア の クラス [A] 映画祭 – モスクワ国際 と カテゴリー公認IFF サンクトペテルブルク – メッセージ・トゥ・マン の認定を一時取り消した。西側諸国中心の認定、また “世界○大” 等の基準は西洋にあると推測できるが、旧ソ連 カザフスタン Eurasia International Film Festival (公認FF 1998 -) や 前述の ウズベキスタン Tashkent Film Festival (1968 – 97, 2021 -) が、今後、制作人口は多いと思われる中央アジアの新世代作家、また国際的な映画制作者をサポートしていく役割を担うのであろう。筆者も現地で感じていたが、独立系の映画祭も、複合的アートイベントとしてスタートしているウズベキスタン。米、英、独、スイス、イスラエル、カザフスタン、韓国、北欧等が後援。中央アジアでも特に伝統を重んじる国、と隣国カザフスタン人の同世代から聞いたが、自然なサイクル上の カウンター・カルチャー の時点で、そもそもが複雑すぎて、出現しにくい風土であることは間違いないのである。加えて、外から見るしかなかったエリアである為、それらはまだ浸透していない個性ともいえる。憧れの文化をなぞる域を超えた展示作品、政治的な枠組みに左右されない映画、そしてその全体の産業に期待したい。

* 北米のケースでは “The Festival of Festivals 形式” としてスタートし、近年 Big 5 と言われるトロント国際映画祭 (1976 – カナダ) がある。これは、世界トップの映画祭で上映された優れた作品を集めて上映するというもの。前述の2021年、タシケントのケースで、FIAPF が提案した形式である。北米メディアまたは、その国や州、ヨーロッパから等、地域つまり言語によって、基準が大きく違った。例えば、近年 ヴェネツィア より遥かに大規模という ロッテルダム国際映画祭 (ほぼ4大、公認無し、アジア作品多め、1972 -) のオランダ語では、トロントが、世界第2位の規模とあり、カンヌの次にあたる。カナダはフランス語も公用語であることを付け加えておこう。過去に遡ると、”カンヌ” は社会主義国で完成したが国内上映不可能な映画を、上映してきた歴史がある。日本においても、大島渚の “愛のコリーダ (1976)” はフランス資本込みで製作され、別枠のカンヌ上映。各国で編集・修正が入ったりしている作品だ。

2010年代に入ると、国際的なトピックやトレンドに左右される映画が増えたり、映画先進国・フランスでも、最大の短編映画祭の予算が半分カットされたという(2023)。全映画制作者の実験の場である “ショートフィルム” が、これからどうなっていくのか。もはや皆が日常的に作れるものも入るのか、そうじゃないのか。すでに長編は、”総合芸術” としては難しいのだろうか。自国でも、当たり前に撮れないのは何故だったのか。このあたりの “現代” の課題にしっかり向き合っている方々に出会いたい。各国映画祭側も、元々の経済状況や、コロナ禍のオンライン・ハイブリッド開催、史上初の中止等を経て、各々立ち位置を考えてきたように、筆者からは見える。

* 伊 ヴェネツィア や 南欧 のケース。筆者が2010年代、ビジターとして複数版通った サン・セバスティアン国際映画祭 (1953 – スペイン、クラス [A]) や Indie Lisboa (その他 Cinema São Jorge, シネマテーク開催のフェスティバル群、ポルトガル) を挙げるが、このふたつは比較的カジュアルな映画祭と語られる中では、対照的だった。筆者が、”やや” バックパッカースタイルでパーティー潜入を試みたのだが、ぎりぎりで OK→NG なのが サン・セバスティアン であり、著名な監督ともきっちり話せるのが、Indie Lisboa である。ヴェネツィア・ビエンナーレ (2年に1度開催、世界最高峰の芸術祭。映画部門が、ヴェネツィア映画祭) は、2021年版がコロナ関連で延期、毎年開催の映画祭も、縮小。22年版に筆者が一部参加できる予定だった。しかし、前年のビエンナーレの影響か、若手チーム枠が認められず、筆者も不参加という形になった。南ヨーロッパとの経済比較ではないが、前述の トロント、ベルリン は、完全に都市型イベントとして機能しており来場者数は断然多く、その幅も広いのかもしれない。ドキュメンタリー や ジャンル系映画祭にしても、主要リストの中に アジア がない場合もある。新しさや総合性なら、北米には沢山の映画祭が存在し、選べる分トップは世界的トレンドに依存しているのかもしれない (出品料が高額な傾向)。一方、南米の映画祭では、マル・デル・プラタ (1954 – 70, 96 – アルゼンチン、クラス[A]) があり、セレクションはより攻めてるケースがあった。しかし、都市型というよりは、観光地としての性格が強く、政治・経済において長年苦しんできたラテンアメリカ・南欧よりの作品が中心。そして、南ヨーロッパ起源の 映画祭 が、より古く、文化・言語的にも根強い。スイス Locarno IFF (1946 – イタリア語圏) や イギリス Edinburgh IFF (1947 – 加盟なし、現在迄中断なし) 等もある。さらに、メインの宗教が色濃く残るエリアなら、、等、”世界○大” の基準って、実際よくわからないものだ。 (敬称略)

独立系 | 中央アジアの映画祭(都市型・複合アートフェア・映画部門)
Cinema Love / Moc Fest 2023年6月 クロージング特別上映決定
→ 3日前キャンセル
(事情は非公開。「当局から20代のプロデュース側への突然の圧力があり、文面での回答にはリスクがある。ご理解を」とのみ返答があった。誘い文句であったある種の自信が消えてしまった。「ヨーロッパなどの資本や文化は近年入ってきているが、現実的にはさまざまな困難がある。仕方がない」と、エグゼクティブPは言っただけだった。また、前述のタシケント映画祭若手ラボ / 2023年版において、筆者が参加した21年と22年版の国際的な監督選出ではなく、旧ソ連諸国の若手監督のみに変更)

*上記、6月11日の元・上映日時点で、筆者は 再度 ただ現地に居るしかなかったが、そもそもの目的 The Return to Dreams 製作国プレミア に未だ参加できていない。若い映画部門の為か、招待枠ではない。もともと同プログラムの映画学校で予定された枠には、ヨーロッパのあるドキュメンタリー巨匠 が登場し、筆者は短期留学のような形で、英語無のクラスを受講した。そこは、もう当局も止められない部分だったのだろうか。どちらにしても1作り手として、もしくは人間として、作品が半端になってしまう事が残念であった。戦前2021年と、23年。さほど変わっていない慣習。数年程度の問題ではないんだと、外の人間からは見えてしまうなと、常に感じる旅だった。

クライアント

ウズベクフィルム (1925年 -), Tashkent Film Festival of Asia, Africa and Latin America (1968年 -) ウズベキスタン観光省, Uzbekistan State Institute of Arts and Culture (Lab)

プロジェクト期間

2016, 2021, 2022

18分

©2023 Kimi Meguro

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